万葉色役術

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油彩小品展

※Image Circle’の終わりからの続き
 (思い出話を語っています)



20代後半は福岡で一人暮らし
トラックを運転したり
マネキンを運搬したり
肉体労働中心の仕事をしていた私は
ストレスが発散できることもあり
絵は描き続けていました。

そうして
人生がマンネリ化しかけていた頃
大分で人気No.1の広告代理店に
29人中1人の難関突破で
運良く転職が決まり
自分を活かせる仕事に携わることで
過労死寸前を経験しながらも
朝から晩まで毎日が面白い
そんな充実した日々が暫く続きました。



一番の思い出は
ラグビー交流の先鞭を着けた
イギリスで開催されたイベント
大分フェアinウェールズ

JAPANの刺繍入りジャンパーを着て
中継地のフランスへ迎う途中
突然の大雪のため
経由したアンカレッジ(アメリカ)に
急遽入国し一泊したこと・・・

ウェールズでのレセプション
大役を終えた後のフランス観光では
◉ベルサイユ宮殿
◉ルーブル美術館(モナリザ鑑賞)
◉パリの凱旋門
◉エッフェル塔
◉ノートルダム大聖堂etc...
しかし
体調が芳しく無く
1枚の写真も撮らないまま終了!



もう一つ加えるなら
大分フェア(ホテルオークラ東京)
設営作業を徹夜で終えた後
早朝
廊下のソファで寝そべっていると
朝一番
理髪店へ向かう宮沢総理が
私の足に躓きそうになったエピソード
SPから睨まれた記憶が残っています。

開催当日は
筑紫哲也さんとだんご汁の取り合い
ちなみに
当時
大分県のキャッチコピーは
「一村一品」(いっそんいっぴん)
関アジ、関サバ、かぼす、椎茸etc...
いろんな販促ツールを作っていました。



こんな仕事がずっと続くのですが
全精力を傾けなければ完成度は伴わず
伸し掛かる責任も半端なく
空いた時間に絵を描くなんて
滅相もないことになっていきます。

そうして
ある時点を境に
私の小さな人生から
絵を描くという時間が消えていき
次なるステップが待っていたようです。



しかしながら
大分パルコで最後の個展ができたことは
喜ばしいことでした。

このようなところで展覧会をやると
新聞にも紹介され
いろんな協会の人もやって来るのですが
「どの団体に所属ですか?」と聞かれ
「単なる趣味です」と答える
そんなやり取りが
少しばかり快感でした。

最後に
残っている作品を紹介しましょう。



■SOME DAY
■1987年・油彩・厚紙・SM
■アニー・ローリー
■スコットランド民謡
 


この頃から厚紙に描くようになり
歌の台詞を入れよう
試しにプリントゴッコを使ってみたら
大大大失敗

有元利夫の樹木と
マリー・ローランサンの鳥を
拝借してしてます。



■幸せを待つ時間
■1989年・油彩・厚紙・F4号
■春の手紙
■大貫妙子


展覧会に足を運んでくれた会社の同僚
その時に撮影した写真を参照
モノクロとカラーを混在させた作品

四角い紙に描いていた途中
これは違うと思い直し
下3分1程度を継ぎ足しています。
(境目がはっきりと分かります)



■花のエール
■1991年・油彩・厚紙・変形
■最後の春休み
■松任谷由実


会社の同僚の結婚祝いに描いた作品
途中段階での写真ですが
タイトルの通り
完成品には美しい花が舞っています。



■LOVE SONG
■1995・油彩・ボード・288×255
■ふたつめのクリスマス
■TULIP


オリジナルはLPレコードのジャケット
『カツオとサンマとアジ』
財津和夫のクレパス画です。

雪を降らせて
クリスマスバージョンにアレンジ
気分転換に久々に筆を握ったのですが
これ以来
絵は描いていません。



■春のボート
■未完成作品・油彩・F0号
■春がくるくる
■TULIP

 


写真を参考に描き始めたのですが
仕上げることができないまま
唯一手元に残っている作品



以上
作品は他にも幾つかあったのですが
見るに耐え得る写真のみを掲載しました



『地獄の門』(ロダン)の前で
坂口くん(大分大学美術部の後輩)と
 


広告代理店時代に
東京に出向いた際のスナップを掲載して
思い出話は
終わりにしましょう。