人間の顔と美的感覚の関連性
タイトルが
論文調になってしまいました(笑)
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いつだったか
人の顔を覚えることができない
相貌失認の女性が
犯人に騙されるという筋書きで
TVドラマ『相棒』(水谷豊主演)が
再放送されていました。
逆に考えると
人間は何故こんなにも多くの他人の顔を
見分けることができるのか?
そんな疑問を持つこと度々
学説的に考えれば
進化の過程で敵と見方を認識したり
社会生活を潤滑に送るために
そういう能力が身に付いたようですが
それにしても
コンサート会場などで
大勢の中に知り合いがいれば
誰だか直ぐに分かりますし
顔の中に目と鼻と口があるだけなのに
人間の
顔認識能力=シミュラクラ現象には
驚くべきものがあります。
それでも
ゾウやキリンの顔であったならば
100匹いや10匹程度であっても
峻別することは至難の業でしょう。
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誰にでも経験があるように
誰でも
岩山や板壁の模様の中に
幾つも顔を見付けられますし
普段でも相手の顔立ちを見ただけで
・・・気が合いそうだとか
・・・機嫌が悪そうだとか
・・・疑っていそうだとか
その判断に狂いはありません。
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そう考えると
顔認証機能を携える人間特有の感覚を
デザインにも活かすことができます。
慣れると
自然とそうなっていることも多く
図案や文字の要素を
顔っぽくなるように配置して
シンメトリーをちょっとだけ崩す
そのセンス(調整能力)によって
どんな顔になるかが決まる訳です。
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例えば
自動車を正面から見たフォルム
ヘッドライトが両目で
その他の要素を入れて眺めると
概ね顔になります。
そこには
ハンドル、ワイパー、ナンバープレート
アンテナ、ステッカーetc…
対称性を破る要素も混ざっており
そのバランスで
魅力ある顔が出来上がります。
完全に対象だと面白くありません。
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映画のスクリーンにおいても
スタンリー・クーブリック
小津安二郎
彼らの作品には
シンメトリーを僅かに壊した場面が
度々登場します。
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この法則を再び顔に当てはめると
ちょっとしたバランスの違いで
・・・いい顔は悪い顔に
・・・悪い顔はいい顔に変わります。
歳を重ねるに連れ
その人の歴史や人柄など
顔を見ると概ね分かりますよね。
しかし
その長所を壊す整形などしてしまえば
皆同じ顔になってしまい
いわゆる人間味が薄れてしまい
印象も薄くなってしまうでしょう。
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若い頃に描いた私の油彩作品
・・・人物の頭の部分が目
・・・丸テーブルが鼻
パンダっぽい顔に見えないでしょうか?
言わないと
気付かないくらいが丁度良いのですが
顔の表情によって
作品の出来がかなり違ってきます。
顔が楽しいと作品も楽しく
顔が悲しいと作品も悲しくなるのです。
『幸せのテーブル』(チェルシー)
1985年・油彩・カンバス・F8号