占いの形式
世間一般の認識において、占いは「AならばBである」(A⇒B)の形式を用いて一律的に明示することができます。AにはBを規定する要因〜星座・血液型・生年月日・手相etc...が措定され、BにはAから導かれる結論〜性格・運勢・相性・未来の出来事etc...が適応されます。
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血液型占いの例(性格診断)を挙げるとA型ならば几帳面・心配性etc...
B型ならばマイペース・楽天的etc...
O型ならば大らか・大雑把etc...
AB型ならば天才肌・合理的etc...
と概ね相場が決まっているようです。
性格と統計調査
性格は、様々な要因を通じて変化する代物であり、同窓会で再会した同級生の変貌ぶりに代表されるように・・・年齢によって変わらない経時的な安定性
場面によって変わらない状況的な一貫性
相手によって変わらない対人的な共通性
これら全てにおいて、生涯に渡る普遍性を維持することなど大抵は敵いません。
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誰が誰を対象に、何時何処で、どのような基準や方法で調査をするのか?責任感の有無という項目の線引一つを取っても、その場の状況を綿密に勘案しなければならず、統計学と銘打つからには、予算や人員の確保を含め、その分析工程たるや困難極まりない大仕事になるはずです。
占いの正当性
「私は何万人も占った」〜占い師の主張の根拠となるものは、統計とは何たるかを理解していない本人の稚拙な経験則に過ぎません。「統計学と言われています」〜又聞きの発言を遡っても、信頼に足る発信元に辿り着くことはありません。
世界中の何処を探しても、調査の証跡など見当たらず、調査企画の立案者、現場の調査員と調査の対象者、結果分析の専門家etc...が存在するはずもなく、統計という触れ込みは、誰かにとって都合の良い正真正銘の都市伝説に過ぎません。
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そんな占いの影響が根強く残る日本の現状は、間違いを犯しやすい人間の性癖と間違いを指摘し難い社会状況が、創発的な利権構造の中で結び付き、日本人全体がひとつの認識共同体となっていている社会実験の様相を呈しています。
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成立するはずのない変化する性格と変化しない要因の相関を正当化し、肩入れしてしまう理由とは一体何なのか?そこには、人間特有の事情が絡んでいるからに他なりません。